GILD THE LILY
よけいな飾りで本来の美をそこなうこと

過剰は美か否か?

 gild the lilyは、美しい百合の花をわざわざ金に塗ってさらに飾り立てるように、それだけで美しい素材をごてごてとした装飾で台無しにしてしまうこと。

 でも素材が美しければ、もっともっとそれを美しくしたいと考えるのは人の常。もっともっともっと!というはかりしれない欲望がこういう状態を引き起こしてしまうのだろう。たとえば、母親が「充分肌がきれいな年頃なんだからお化粧なんかすることはない」と思春期の娘をたしなめても、そんなアドバイスは娘の耳には届きはしない。美しさは、失ってしばらくたってから気づくものなのだ。どれだけの人々が、そのときどきの、自分のありのままの美しさを理解しているだろう? 冷静に自分の中にある美を評価・判断するのは至難の業だ。程度の差こそあるけれど、みんながみんな、過剰に飾り立てたり、ごまかしたりして、いろいろな本来の姿をそこない続けているのかもしれない。
 
 フランソワーズ・サガン原作の『厚化粧の女 La Femme Fardee 』では、ヒロインは自分自身の内面を守るために厚化粧で装い続ける。彼女の自我は、ここまで厚化粧でカバーして、本来の姿をかばってやらないと、押しつぶされてしまうほど繊細なものだったのだ。自分の身を守るための過剰。判断しそこなった過剰。どちらにせよ、いつかはその本来の姿が見えてくる日があるといいのに。