人に混ざり生きる狐,祝福の巫女キヌ,50

■喜びと悲しみ

キズアミ様ほど、ただ人と共に暮らすだけでなく、人そのものとして生きることを愛された神は他にいないでしょう。

神々にとって、いかに長命の種族であれ、その生はいずれ消えゆく儚き灯火。その火が燃える間、人は怒りや悲しみ、恐れ、愛、憎しみ、望みといったあらゆる感情を次々と繰り返しながら、生と死、祝福と災厄を共に抱きしめて成長します。キズアミ様は、そんな尽きることなく変化する人の世に魅了され、あたかも蛾が灯火に惹き寄せられるように、その中へ飛び込まれたのです。

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「神たるわたしとて、いずれ死という代価を払わねばならぬならば、それに見合う生を送ろう」

そうお考えになったキズアミ様が最初に刻まれた記憶は、生と死の切り離せぬ関係。その後、人として生きるうちに知ったのは、愛や友情の代償たる別離の悲しみ、繁栄や傲慢が産む破滅、そして絶望の中に芽吹く希望の奇跡でした。神々の領域にもこれらは存在しますが、人間の世はとかくうつろいが早く、予想だにしない姿へと変わり続けます。その奔流は、キズアミ様の心を魅了してやみませんでした。

■黄金との邂逅

キズアミ様は「壊れたもの」をこよなく愛されました。時に呪いを与え、その品が人々にどのように扱われるのかをご覧になることもお好きでした。

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「捨ててはいけないぞ。知恵さえあれば、まだ役に立つものだからな」

人の世で生活されていた頃、キズアミ様は漆と金を用いて陶器を修繕する仕事を生業とされました。割れた破片や欠けた部分を隠すのではなく、むしろ金の筋が美しく映えるように仕上げられるその技は、人間たちの間で大きな評判を呼びました。

工房には不具の者たちが多く雇われていましたが、キズアミ様は彼らの傷痕を癒やすことはされませんでした。それもまた祝福と呪いが混在する「彼ら自身」の一部と考えられたからです。けれども、同じように陶器を直す技術を彼らに教え、彼らが世の「穀潰し」と見なされぬよう導いておられました。

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その名が広く知れわたると、中には自ら器を壊し、キズアミ様に修繕してもらおうと持ち込む者も現れました。しかしキズアミ様は怒ってこう言い放たれたのです。

「おのれで折った鳥の翼を癒やす価値など、どこにもないのだ」

■キズアミの子ら

人の生を余すことなく味わうべく、キズアミ様はさまざまな姿となって各地の人々と愛を交わされました。

やがて、その愛から生まれた子らが、神狐の血を示す証たる獣の耳と尻尾を幼くして隠しきれず、人々に神の末裔であると知られるようになります。人の性をよくご存じであったキズアミ様は、この子らを神域に集め、妹君のホロメ様と共に、使徒として育てることにされました。
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ミフの里で代々受け継がれる巫女の名「キヌ」は、キズアミ様の長女にして最初の使徒、真っ白な髪と毛皮を持つ娘に由来いたします。わたくしもまた、その名を継ぎし一人です。

■法を潜り抜けて

闘争の時代が終わり、神々が定めし「永遠の盟約」により、キズアミ様は神域に退かれました。しかしながら、人間の世を愛してやまないキズアミ様には、イルヴァから離れ続けることは耐えがたいことであったのです。そこで、まるで狐が罠をすり抜けるかのように、キズアミ様は契約を掟破りせずにすむ策を案じられました。
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それは、まったく神性を持たぬ「仮初の肉体」を創り出し、それを人間界へ送り込むというもの。その身体を遠くから操り、思いのままに動かすことで、生まれ故郷に再び足を踏み入れ、人間の世の喜怒哀楽を味わおうというお考えでした。

やがて、この行いが神々に露見すると、議論は大いに紛糾いたしました。「契約そのものは破っていない」という神々と、「契約の精神を踏みにじっている、これを許せばさらなる抜け道を生む」と糾弾する神々。最終的に、キズアミ様に悪意がないと認めた柱の神々の寛大なる裁定により、キズアミ様は神域に封じられるものの、再び神々がイルヴァへ降臨する時までの刑と決まったのです。
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この裁きも、キズアミ様の人間への情熱をたゆらせることはなく、イルヴァに繰り返し訪れる生と死と再生を神域から見守る中、キズアミ様の中でますます燃え上がっていったのです。

ついに三紀が過ぎたある日、ホロメ様より、神々が静かにイルヴァへと戻り始めたとの知らせが届きました。それは、キズアミ様の刑罰の終わりを告げる報せでもありました。
